Baby,

ドキドキライフ ♪

the stars shine bright

 

2022-02-18

 

 

嬉しいことを言われた。

 

出願した大学の入試を全部受け終わった。2月あたりからはラストスパートをかけずに入試を受けに行く以外はベットで朝から夜まで寝ていて、とくに頑張っていなかったので開放感というものを全く感じない。学校の定期テスト後の方が開放感があって楽しかった。僕は長期的に長時間勉強し続けるのは向いていないのかもしれない。向いていないわけではないがやり方を少し間違えてしまったなと思う。僕の楽しいことや生きがいというものは小さいことで、それはあるゲームの開始日だったり、好きな絵描きさんの同人イベントだったり来週のアニメだったり、好きな人のYouTubeの更新だったり、土日の朝寝坊だったので、それが悪になるのが辛かった。僕は休みを適度に取るということができなかったので、ダメになって昼まで寝てしまった自分を許すことができなかった。自分の気持ちをコントロールすることが下手だった。その失敗を改善することができなかった。自分を必要以上に責めすぎてしまったので、僕は受験勉強と受験勉強をしなくてはいけない期間が苦しくて逃げたくなってしまった。だから勉強できなかった。苦しいだけでなにも頑張っていなかった。頑張っていたと思っていたのは全部苦しんでいるだけで頑張れていなかった。僕はなにも頑張れていなかった。報われなかった。そもそも苦しいという気持ちは報われるものではない。苦しさというのは後の少しの安らぎを過剰に心地よく感じるために存在する。去年の僕が全てがなくなってしまった気がする。アップビートの曲を聞けば元気になるけど、イヤホンの充電が切れてしまえば僕は震えて自分を殴ることになるんだ。

 

 

昨日それがちょっと救われた。嬉しいことを言われた。好きな人がお疲れ様、頑張ったねと言ってくれた。しかもハートの絵文字も付いている。僕はその人が一人で喋るときはハートの絵文字なんかをつける人ではないことを知っているし、恐らくそれは義務的に付けられているものだというのも分かる。でも僕はその人が絵文字をつけて文章を柔らかくしてくれたことが嬉しいのだ。第一志望に落ちて母にも喋りかけることができなかったから、優しい母にもお疲れさま、も頑張ったね、も言われなかった。父はそういうことを言うはずが無いし、結果について何か言及されたら怖いので避けている。父はどうせこの先の社会で苦労するとか、そういう自殺したくなるようなことしか僕に言ってこない。父は今、安全圏にいるから攻撃をたくさん打ってくる。狡いよね。でも僕は好きな人にお疲れ様、頑張ったねと言われたんだ、彼女がいう言葉はすべて真実、というより彼女の言葉は、自分で自分に100回言い聞かせるより自分が理解して分かってくれるので、彼女が僕に頑張ったねといえば頑張ったんだな、と思えるのだ。だから嬉しかった。僕の苦しかったことが、苦しかったことに抗ったことが、報われない全てが抱きしめられた。そんな気がした。本人にそんな意図はなくても僕はぎゅっとされて嬉しくなった。よかった。嬉しいことを言われた。言ってほしいことを言ってくれた。あの子はミューズかも。僕は嬉しい。