2023/07/24 ~ 2023/08/08
「真っ昼間の炎天下のカバーニャ要塞、死んでいるかのように寝そべっている野良犬になぜか目を奪われた。薄汚れて手厚く扱われている様子はないが、なぜか気高い印象を受けた。」
「野良犬たちは、通りすがりの観光客に媚びてエサを貰っていた。」
「東京で見る、しっかりとリードに繋がれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っている表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬ような犬よりよっぽど可愛く見えた。」(77)
「誰かに飼い慣らされるよりも自由と貧しさを選んでいた。」(78)
カバーニャ要塞の野良犬が気高く見えるのは、自由を手に入れているからで、自分は新自由主義の競争に飼い慣らされていて、不自由な新自由主義の社会に媚びを売りまくってなんとか手に入れたお金で毛をサラサラにしたり着飾ったりしている。醜い。観光客に媚を売ってエサをもらうカバーニャ要塞の野良犬は自由で、気高くて美しい。そういうふうになりたい。早くセレブ犬になる競争をしている新自由主義から降りたい。
「寝ないでどこかに行きたいという気持ちが湧き上がってきたり、ホテルにいる時間がもったいないと感じている自分に気付いて驚いた。」もしかしたら、出不精ではなくて東京に行きたいところがないのかもしれない。出かけたい所があることって、人を幸せにするんだな。」
「『明日も、まだ行ったことがない所に行ける』」(112)
東京で、埼玉で、行きたいところを見つけたい
・ホテルのバイキングのマンゴージュースがおいしかったらしい、わたしものみたい
・苺とチョコレート、見たい 当時のキューバの社会情勢がよくわかる映画らしい
・キューバの人は100円ライターを何回も修理して使うらしい。物を大事に使うって本当に大事なことだと思う
「死んだ時に悲しみに暮れることさえも、自意識過剰になってしまっている。だから、逃げることにした。知ってる人が誰もいない環境で1人になって思いっきり悲しみたかった。」(190)
確かに何かを思うとき、こんなこと思うなんて誰かに申し訳ないと考えしまうことがある。私の場合は自意識過剰でもあるし、自意識過剰というよりも、父親が原因な気がしていて、頭の中の父親が自分に文句を言っているみたいに、自分が、自分の考えに文句を言っている。(気がする)
「人生とか愛とか、感謝とかって実はアメフトの話のようなものの中に含まれていて、わざわざ言葉にして話すようなことじゃないんだ」(191)
大事な人たちとはたくさん話したい。深い話をしようと言って心の深いところを喋り出すなんてできないし、心の深いところの話はちょっとづつ普通の会話に混ざってるから、大事な人たちとたくさん話して、ちょっとづつ、たくさんその人のことを知りたい。
「この町(東京)でバカにされずに生きるにはいくつ手に入れればいい?仕事ができて、お金を持っていて、若くて、デブじゃなくて、頭が良くて。キリがない。僕はとっくに降りている。」(201-202)
好きな人は新自由主義の競争から降りているような、野良犬みたいな人だった それがかっこよかった。
「今後、新自由主義はもっと浸透し、AIも普及し、格差はさらに広がるらしい。」
エーン この競争、降ります 貧乏で気高い野良犬になります 道で鼻歌歌います
「キューバの1番のお勧めの観光名所を紹介するとしたらマレコン通り沿いの人々の顔だ」(204)
携帯を持っていないキューバの人はマレコン通りに集まってお喋りするらしい。いいな。
自分はキューバに行く前の若林さんと同じだ。たぶん今同窓会に行ったら情けないし負けていると思うんだろう。ニューヨークから発せられる死ぬほど働いて死ぬほど物を買ってハッピー!な資本主義に翻弄されて、今の自分はくたくただし、未来への希望もあんまりない。だからキューバに行きたい。広告のない、携帯のない国に行きたい。青いビーチででっかい外国人に怒鳴られたとしても、キューバに行ってみたい。
若林正恭(2017)『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』凸版印刷株式会社